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連載コラム
サニーサイドと
ワイルドサイド
編集者/ジャーナリスト 鈴木 正文

Vol.1 美は乱調にあり


1. 「美は乱調にあり」といったのは明治生まれの無政府主義者の大杉栄(1885-1923)であった。生年の1885年は明治18年。天皇の指名により伊藤博文が(当時は「大日本帝国」の)初代の内閣総理大臣に就任したのはおなじ年の12月のことであった。

大杉栄は、明治維新後に立ち上がった近代日本がようやく近代国家の形をととのえつつあったころに生まれたのだった。そして、1923(大正12)年、38歳にして没した。9月1日に南関東を巨大地震が襲い、「帝都」が破壊されつくし、死者・行方不明者が10万人をこえた「関東大震災」の、およそ2週間後の9月16日のことであった。

新宿・淀橋に居住していた大杉は、大地震発生後の流言飛語の飛び交う不穏な世相のなかで、内縁の妻の伊藤野枝および甥の6歳の橘宗一(たちばな・むねいち)とともに外出中、警戒にあたっていた憲兵隊に拘束され、東京・麹町の陸軍憲兵隊司令部に連行されたのち、伊藤のみならず年端も行かぬ宗一ともども、憲兵隊によって殺害された。

(社会新報10月11日号3面より)

いわく、震災後の混乱に乗じた政府転覆の企てがあるとの嫌疑のもとに、アナキストの大立者としてかねて監視下にあった大杉と、その大杉と志をおなじくする伊藤野枝を、さらにはふたりのあいだの子と誤認された橘宗一を、憲兵隊大尉の甘粕正彦が(裁判を経ずに)手を下して「処刑」したのであった。(大杉と伊藤の死にまつわる事情については、瀬戸内寂聴の著書で岩波現代文庫に収納されている『美は乱調にあり』および『諧調は偽りなり』の2冊の評伝小説を参照されたい。)

大杉は、死の10年まえの1913(大正2)年に「生の拡充」と題したエッセイを発表し、そのなかで、「生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日の生の至上の美を見る」として、「征服の事実がその頂上に達した今日においては、諧調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。諧調は偽りである。真はただ乱調にある」と宣言した、ときに、大杉は28歳だった。

「諧調」とは、「音なり色なりの調和のよくとれた状態」であり、いっぽう「乱調」は、「諧調がとれていない乱れた状態である。諧調を英語の「harmony」とするなら、乱調の英語は「out of tune」(調子外れ)とか「unordered」(秩序が乱れている)とかであろうか。

大杉は「美」も「真」も、諧調にではなく、乱調に存する、といった。秩序の裂け目に、美が、そして真がある、と。



2. 「少年の母親はフランクだかジャックだかという名の男と逃げてしまい、父親は一家の住まいでもあった安宿のコックとして長時間にわたる労働をしていたが、ヴァージニアという名の『淫売』と暮らしていたから、食事の時間以外には会うこともなかった。ヴァージニアは語り手の少年を嫌っていた。『ぼくにはホテルの自分の部屋があった』とこの詩は結ばれている」。引用元は、『リチャード・ブローティガン』(ちくま文庫)。著者は藤本和子である。


筑摩書房


「語り手の少年」とは、子どものころのリチャード・ブローティガン(1935-1984)だ。カウンターカルチュアが花開いた1960年代後半のアメリカで人気を博した小説家にして詩人である。いまはほぼ忘れ去られているけれど、「ビート・ジェネレーションの文学的ヒーロー」といわれもした。49年の生涯を、ピストル自殺によって終えた。



「僕にはホテルの自分の部屋があった」と結ばれた「この詩」というのは、「モンタナのビュートでの一年を描いている」とされる「陳腐な話」というタイトルのものである。藤本によれば、「そのときのブローティガンはまだ子どもだったのに妹の面倒を見ていた」ヤング・ケアラーであった。「父親」は継父で、母親は「その男を置いてべつの男と駆け落ちした」。



藤本は書く。「母親に去られて、継父にもかえりみられず、少年にあったのは知らない土地のホテルの小部屋だけだった。だれにも望まれず愛されていないという悲痛な感情を『部屋しかなかった』といわずに、『部屋があった』という言葉で結ぶ語り手の少年には、すでに人間の生の果てを見透かしているような成熟がある。自己憐憫をしりぞけ、距離感をもつ冷静さである」と。



人間でもなければ犬でもない、モノいわぬ「部屋」が、モノをいわないからなのか、「自分のモノ」となったのであろうか。意志をもたない「部屋」だからこそ。



大杉栄に引きつけていうなら、ブローティガン少年の日常世界のキイノートは、おだやかに安定した「諧調」ではなく、安定なき不穏な「乱調」だ。実の父はいない。継父がいて、いないに等しい。母はいない。あとがまの男であった継父を捨てて、べつの男と、いずこかへ消えた。かれに「部屋」をあてがった継父がともに暮らす女は少年を嫌った。少年は幼い妹の面倒をみていた…。その日常は、乱調に乱調を重ねていた。「ホテルの自分の部屋」は、そんな世界にかくれるように少年を待つ世界の裂け目だったのか。かれにとって、その裂け目にしか、自由と「美」と「真」はなかったのか。



3. 「生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ。今日の生の至上の美を見る」といった大杉は、「反逆と破壊との中に」生きて死んだ(殺された)。



「ホテルの自分の部屋」に自分を生きた少年ブローティガンは、そもそもから「諧調」から見放されて生きた「乱調」の生を、詩に、小説に、結晶し、20世紀アメリカの、世界に冠たる「諧調」秩序に落伍し、それから見放された者たちの歌を歌った。



大杉も、ブローティガンも、危険と乱調の道(ワイルドサイド)を歩み、その途上に、「美」と「真」を見出した。ヨウジヤマモトのコラボ・プロジェクトである「WILDSIDE Yohji Yamamoto」は、「諧調」ではなく「乱調」の道を歩んでいる(と、僕は信じる)



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