ワイルドサイド
Vol.2 「暗い時代」の処方箋
1.
イーロン・マスクが「ディスラプター」としてもてはやされていたころ、「プッシュ・バウンダリーズ」も流行りことばとなり、テック業界やファッション業界、その他のビジネス界隈に蔓延した。「ディスラプター」(disruptor)とは、既成の秩序、構造、ビジネスその他での、規範的で支配的なモデルを破壊したり混乱させたりする破壊者のことで、それは褒め言葉だった。「創造的破壊者」とも訳されたものである。
いっぽう、「プッシュ・バウンダリーズ」(to push boundaries)とは、「従来の限界や境界をおしひろげ」、「安全圏」である現状を突破して新しいアイディアやイノヴェーションを実行すること、を含意していた。「ディスラプター」は「バウンダリーズをプッシュする(おしひろげる)者やモノおよびテクノロジーであり、逆もまた真である、と思念されていた。
そして2026年のいま、1年ちょっと前に世界一の強国の大統領に就任した男が、戦後世界最大・最強の「ディスラプター」となって、世界秩序の「バウンダリーズ」を、どんどん「プッシュ」しながら破壊している。かれこそは「ディスラプター」のチャンピオンであり、その権勢は地球大に及ぶにいたっている。なんのことはない、マスクに始まった「ディスラプター」は、トランプにたどりついたのであった。
2.
ハンナ・アレント(1906-1975)は、1963年に公刊した『革命について』(志水速雄訳/ちくま学芸文庫)のなかで、フランス革命時の議会である「国民公会」にあてた、ある嘆願書の文言を紹介している。「哀れみのため、人間にたいする愛のため、非人間的になれ!」というものがそれだ。パリの行政単位である「セクション」のひとつが公会にあてたという。「賢明で助けになる外科医は、残酷ではあるが慈悲深いメスで、患者の生命を救うために腐り爛れた手足を切る」と言い切り、革命派の武断を要求したのである。
ハンナ・アレント『革命について』
(ちくま学芸文庫)
「慈悲深いメス」の残酷さを、「公会」の「サン・キュロット」派は、革命の名において肯定した。サン・キュロットとは革命的長ズボン主義者のことである。かれらは貴族が穿く「キュロット」(半ズボン)と白いシルクの長靴下を軽蔑し、長ズボン(パンタロン)を穿いた。そして頭には古代ローマの解放奴隷が自由の証として着用した円錐形の赤い布製の帽子(フリジア帽)をかぶった。さらに、こんにちの背広型上着の原型となった「カルマニョ―ル」を着た。着丈が短く、折り返し式の幅広の襟がつくジャケットであるそれは、赤いヴェストや縦縞の長ズボンと組み合わされることが多かった、といわれる。
ルイ=レオポルド・ボワイー作(1792年)
『サン・キュロットの扮装をした歌手シュナール』
このファッションこそは、打倒すべき貴族の貴族的衣装に対抗する反逆の「制服」であった。労働服の様式化でもあったそれは、身分的な境界(バウンダリーズ)を押しひろげ(プッシュし)、人間なるものにとって非本来的な身分的差別の撤廃を高らかにうたう「解放服」であった。フランス革命そのものを、ファッション的にシンボライズした。
国王ルイ16世が「革命広場」(現在のコンコルド広場)に設営された断頭台でギロチンにより斬首されたのは1793年のことであった。「残酷ではあるが慈悲深いメス」が、「患者」ならぬ「フランス国家」の、「生命を救うために腐り爛れた手足」たる国王の首を切断した。
3.
ハンナ・アレントは1958年に、「自由・ハンザ都市ハンブルク」がかの女に贈ったレッシング賞を受賞したさい、「暗い時代の人間性について」と題する記念講演をおこない、こう述べた。
「歴史の中には、公共性の空間が暗くなり、世界の永続性が疑わしくなって、その結果、人間たちが、自らの生活の利益と私的自由を適切に考慮に入れてくれることしか政治に求めないことが当たり前になってしまう時代があります。そのような時代を「暗い時代finstere Zeiten」(ブレヒト)と呼ぶことには一定の正当性があるでしょう」(『暗い時代の人間性について』仲正昌樹訳/情況出版)
「もっと手取りを」「消費税の停止または減税を」といった声が巻きおこるなか、「責任ある積極財政」をかかげて2月の衆議院議員選挙に圧勝した自民党が打ち出した政策のほとんどは、なるほど、「生活の利益と私的自由を適切に考慮に入れることしか政治に求めないことが当たり前になってしまう時代」の、「正しい」政策であったにちがいない。いまの日本は、「暗い時代」のなかで密やかに息づいているようだからだ。アレントはつづけて述べている。「そうした時代に生き、そうした時代に教育を受けた人々は、恐らく常に世界とその公共圏にあまり関心を持たず、できる限りそれらを無視しようとします」と。
1933年、世界恐慌下の経済・社会不安が世界をおおい、そのただなかで政権を掌握したヒトラーのもとでユダヤ人迫害の気運がドイツに吹き荒れた。ドイツ人でユダヤ人であるアレントは、密かに越境してパリに亡命しようとしていた。しかし、7月にベルリンで逮捕された。シオニスト組織に協力してナチスの反ユダヤ主義政策を調査していたとの嫌疑ゆえであった。けれど、幸運にも、8日間の拘束ののち釈放された。みずからの弁護のために弁護士を要求することもしなかったにもかかわらず。警官とかれの「誠実で、礼儀正しそうな顔を信頼した」から、と、のちにアレントは語った。
全体主義の呵責なき批判者であったアレントにしては、それは「ナイーヴ」(無邪気)すぎる対応であったかもしれない。しかし、全体主義(反ユダヤ主義)権力の末端執行官としての警官が、(それにもかかわらず)「誠実で、礼儀正しそうな顔」であったことを、アレントは信頼した。道義的価値が全面崩壊しつつあった「暗い時代」のドイツで、信じるに足るものがあったとすれば、それはなんらかの政治的スローガンであるよりも、人間として「信頼できる顔」のほうだった。
4.
ウクライナで、ガザで、そしてイランとその周辺地域でうちつづく戦争に、いまだ終わりは見えていない。果たして終わりがあるかどうかさえ疑わしい。
そういう時代だ。ディスラプターや反キュロットの革命派や、パレスチナ全滅を欲望するシオニストや、戦争による破壊によって人間の営みが生成した多様な物語をゼロに還元しようとする破壊主義者たちが、時代の「顔」をつくっている。「暗い時代」は「醜い時代」を呼び寄せつつあるのだろうか。果たして、いま、「誠実で、礼儀正しそうな顔」を、どこに見出すことができるであろうか。
反キュロット派の反逆の制服とナチス親衛隊の制服、さらには自民党の党大会で「君が代」を歌った陸上自衛隊のディーヴァが着用した自衛隊音楽隊の制服……。いずれにせよ、それらの服(ファッション)は、制度(システム)の強いる仮面の別名である。とするならなおさら、かつてアレントを釈放したヒトラー時代のドイツの「警官」のように、みずからの「顔」を見せよう。いま、あなたが着ているその「服」を「顔」にしてみてはどうか。その「顔」は「制度」からすこしでも自由だろうか。そこに自由はあるだろうか。
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